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鉄砲小路の歴史 (~参考:蘇古鶴神社375年祭記念誌~)

菊陽町は大型のショッピング施設(ゆめタウン光の森)の建設のほか、宅地分譲も進み、住宅が立ち並び、とても勢いのある町です。
そんな中、あえて近代化せず、昔のままの武家屋敷の景観を住民の手で守り続けている地域があります。
菊陽町原水にある「鉄砲小路」と呼ばれる集落です。
約4kmにわたり、県道沿いに植えこまれた生垣は、地元住民の意志により自然とできたものであり、各自手入れをし、隣との均衡を保ちながら現在に至っております。
平成元年、熊本県の「第一回景観賞」を受賞しました。
祝祭日には、住民の方が木戸口に日の丸の旗を掲げられ、その統一された景観はとてもすがすがしいものです。

鉄砲小路は寛永12年(1635年)正月、当時の藩主である細川忠利公の命により創設された大規模な地筒(地鉄砲)の集落です。
その狙いは、当時の数々の戦い※など、非常の場合に備えての軍備強化であり、未開墾地の開拓でした。
※参戦した戦い
寛永14年(1637年) 島原の乱
嘉永6年(1853年)  黒船来航(ペリー)時、浦賀詰
慶応4年(1868年)  鳥羽伏見の戦い
元治元年(1864年) 小倉戦争(長州征伐)
明治2年(1869年)  五稜郭の戦い。参勤交代のお共
明治10年(1877年) 西南の役
その他 藤崎宮大祭時の警護(藤崎宮参道に現存する松の木は、鉄砲小路の住人が植えました。)江戸詰、京都詰
また、当時の大きな社会問題であった浪人対策の一環であったとも伝えられています。
当時の集落の構成は、総代1名、小頭6名、組横目7名でその他70余名でした。
鉄砲小路の景観にはとても特徴があり、集落を走る一本の道路を挟んで、北側は住居、南側は作業場(しのば)となっています。
東西3.6km、整然と立ち並んだ武家屋敷の当時の景観は異彩を放つものだったとうかがえます。
この地域は、もともと上堀川・下堀川と2行政区でしたが、平成21年に「鉄砲小路」と呼ばれるようになりました。
集落全体は大きく6組に分かれ、各組はそれぞれ3つの五列からなり、現在に至ってもその連帯の絆は強固で、組の座も絶やされることなく連綿と続いています。
今も残る、武士道精神によって貫かれた風土・美風は時代の推移により、多少の変化はあっても由緒ある鉄砲小路の名はこれから先も後世に伝え、守っていくべきものだと思います。

その、鉄砲小路で代表者福島知雄は生れ育ち、地元であるこの地に関連会社である(株)太照工業を設立しました。

鉄砲小路での宅地分譲も手掛けました。

宅地分譲により、鉄砲小路にも若い世代が生活していける空間を創ることができました。
これからも、守るべき景観は守っていき、賑わいある地域となればいいなと思います。

蘇古鶴神社

寛永12年(1635年)9月、蘇古鶴神社は鉄砲小路(てっぽうこうじ)の守護神として阿蘇神社より勧請されました。
旧宮跡は、堀川公民館の北方の里山に「堂床」として残っています。
現在の宮床は明暦元年(1655)12月、新たに神殿を建立し遷宮されました。
祭神は、神武天皇の孫とされ、阿蘇一の宮である健磐龍の命(たていわたつのみこと)・二の宮である比咩大神(ひめおおかみ)の二柱です。
この二柱で菅原道真神を合祀しています。
名前の由来は、細川忠利公が鷹狩りでこの地に来られたとき、鶴が二羽(そこつ鶴)舞い降りてきたので、将来にわたり社号を阿蘇の蘇の字を鶴の上にかぶせて「蘇古鶴宮」と申し伝えたとのことといわれます。
神社本殿前に、菊陽町唯一の楼門があります。
楼門は、奥行き3.06メートル、間口3.99メートルで、銅板葺きの二層建築です。
門内には門神である「奇岩窓神(くしいわまどのかみ)」、「豊岩窓神(とよいわまどのかみ)」の異名同体の二神が祀られています。
昭和60年5月に町の文化財に指定されました。

このほか、鉄砲小路の個人宅には、昔の生活用具等が現在も大切に保管されています。
生活用具だけではなく、個人の敷地内に、天満宮や稲荷様、観音様が存在し、この地の神様を今でも大切に崇められている様子がうかがえます。

最後に、鉄砲小路の魅力は生垣をはじめ、その美しい景観です。
個人宅にそびえ立つ木斛、椿の木は樹齢300年を超えるといわれます。
なかでも椿の木は常緑の高木で成長は遅く、古くから信仰の対象でもあり、鉄砲小路においては防火林として屋敷の境に植えられ、種は油を得られる貴重な資源として大切にされていました。
椿の木と一概にいいましたが、幹回り約2メートル、根回り約10メートル、樹高約14メートル、枝幅約9メートルという大木です。
長い年月、鉄砲小路の遍歴を見守ってきた貴重な木たちです。

鉄砲小路は、口コミや新聞にも取り上げられ、地域外からも関心がもたれ訪れる人たちも多いようです。
また、大学生たちの歴史の研究としても注目されています。

菊陽町はこの他にも馬場楠井手の鼻ぐり(通称:鼻ぐり井手)、上津久礼眼鏡橋、下津久礼六地蔵、六道塚古墳、今石城跡など、指定文化財が数多く存在しています。

参照:菊陽町ホームページ、トップページ > 町の文化財 > 指定文化財より

 

 

 

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